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12月10日 火曜日 南飛騨国際健康保養地主要プロジェクト説明会

中川良三会長(南飛騨国際健康保養地協議会長)挨拶

次第

平成14年12月10日(火)
13:00〜15:00
下呂観光会館 大ホール

1 南飛騨国際健康保養地協議会長 挨拶

2 顧問挨拶

3 主要プロジェクトについて

  1. 南飛騨総合健康増進センター関連事業について
    1. 県事業について
    2. 萩原町事業について
  2. 飛騨御嶽高原高地トレーニングエリア関連事業について
    1. 全体構想について
    2. 町村事業について
  3. 南飛騨総合健康医療センター関連事業について
    1. 県事業について
    2. 下呂町事業について
  4. 全国植樹祭開催誘致について
  5. その他関連事業について

4 その他


(萩原町・小坂町・下呂町・金山町・馬瀬村・和良村・加子母村・宮村・久々野町・朝日村・高根村の十一町村から、商工関係者、議員等が集まった。二百人ぐらいいたかと思う。これらの町村が、ヘルスリゾート「みなみひだ」〈南飛騨国際健康保養地〉を構成する。)

説明等する職員たちは、慌てて、慌てているかのように、慌てて飛ばすことを好都合であるかのようにして、どんどんプログラムを続ける。あれよあれよのうちに進んでいく。
僕は、写真を撮るために左前方にいたのだが、隣りにいた下呂の議員が、そう慌てずにやればいいのに、と不平を言っていた。まったく同感である。
この進行は、常識を欠いている。
僕は、町などからの説明について、何で、ぺらぺらと話を一方的に進めるんだろうか、とかねがね疑問に思っていた。けれども、新米なので、そんなものかと思っていたが、今日は、怒れた。常識感覚をどっかへなくしてしまっている。そしてまた、そのことに疑いを持っていない。と断定した。途端に、一挙に我慢ならなくなった。コノヤロウドモメガト。

そして、これはなぜなのだろうと、原因は何なんだろうと。ここでは、職員個人について何事かを言ってもはじまらないと。そして、こわいところへ来た。そこは知事。この原因は知事にあるのではなかろうかと。僕は、いままで、知事を自分の生活の中で、思考の中で特に意識したことはなかった。知事という者がいるということでしかなかった。選挙においても、習慣として、義務として投票したに過ぎなかった。それ以上の何かを考えてみることなどなかったし、この態度はごく一般だとして疑わなかった。

腹立ちの中で、もし自分が知事なら、と、ぼんやりとだが思い始めていた。批判するとは、自ずから、自分が彼の位置にいるならと考えることに行く。しかも、ここは、小説の中のことではない。関係地域すべての生活者に関わっている。

ちょっと話題を変える。
思い出すに、この日、僕が関心を持ったのは、三つ。まず、写真の人、中川協議会長さん。検索してみると、この人は、下呂の(株)ハウテックの会長さんである。この会社の規模に驚いた。この会社は、四十年前に、コンテナーという名で知られていた。それが、いまや、全国に工場をもち、従業員四百人からの会社になっている。
中川さんが最初に挨拶したのであるが、そのときは、特に関心を持ったわけではない。しかし、話が解りやすいことと、変な表現だが、何か人間的な響きがあった。このニンゲンテキなる形容は、後から続く人たちの説明の味気なさとの対比で言うのである。言葉がキカイテキで、僕には耐えるのがつらいのであった。

話の要点は、一つが、個人としての長生きに象徴される健康法のこと、もう一つが、地域に観光客が増加する経済効果。これが、これらプロジェクトの目標であり、その通りで、ごく普通の話なのだが、言葉の響きに、魅力と安心できるところがあった。
次は、下呂町長の説明で、建物のプロジェクトの話は、ああそうですかと耳を素通りしたのだが、話の途中に、下呂周辺部における農産物の加工等のことが入ってきて、それが、妙に耳の残ったのである。これは、数年前、旅館組合の会合における挨拶のときにも聞いた。そのときは、さして印象に残らなかったが、今回は何故か手作りの響きがあった。

それから高根村の助役の話。飛騨御嶽高原トレーニングエリア関連事業の説明。これは、話の内容そのものが、高地トレーニングなので、ユニークだった。必要なものであり、ごく普通にトレーニングしやすい環境にすればいい。人も、設備も、環境も。変にいじらないほうがいいし、無理をすることはないだろう。だから、助役の話にも、無理がなかった。ごく普通に聞くことができた。

その他の話は、全体に、とってつけたような無理が感じられたのである。職員たちは、仕事だからやっているのだという印象だった。手作り感覚を欠いているのである。そういうわけで、だんだん、聞き苦しくなって、怒れてきたのである。本来は、手作りでなくてはならない。手作りとは、信じて事を運ぶということだ。成否はともかく、人間的なもの、意欲熱意等が伴うはずのものだ。それが欠けている。いかにも仕事をしているのだという振りばかりが目立った。
これはなんだろうと思ううち、知事というトップに行き当たった。この人がやたらに、新奇なもの、にこだわるのであろうと。建物等、物プロジェクトと、新奇が一人歩きをする。内容が一人歩きするのではなく、言葉だけが歩くのである。だから、虚しいし、さらには、そんなことを続けるトップの感覚に腹が立ってきたのである。この人は、もう過去の人である、と強く思った。高度成長期の人である。これはまた、なんとはた迷惑な。各町村は、そして職員は、虚しく振り回されている。

となれば、解答は、一つ、横目に見つつ、応答しつつ、独自の道を手作りで開発し進み始めていること。ごくありふれているが、生活という地面に戻って出発し始めることなのである。感覚の狂いがわからなくなっては大変だ。各町村の長たちも職員も、その点に、特に敏感になる必要がある。生活するとは、というごく普通の感覚を忘れてしまっては困る。土台が狂っては、行き先も狂である。
もう一つ、なお言えば、これは日本国の課題であるのだと。

注 AとCは名前が似ているが、Aは、萩原町四美のプロジェクトであり、Cは、下呂の病院関係を中心とするプロジェクトである。これらは、一体のものとして、住民が地道に手づくりしていくべきものである。住民というあたりまえの姿を欠いたら、空しいブツのカタマリが待っているだけだ。

あと一つ追加。この日、会場が笑いとともに和んだのは一度だけだった。それは、下呂病院の事務長が、どうかもっと来てくださいと営業をしたときだったよ。その理由の奥がわかっているから、みな笑ったのである。
さらに、事務長としては、次に発言すべきことへの言い訳としたかったのであろう。下呂病院の新築が予定通りに進まないようだと。




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